尾崎豊から着想を受けて書いてみた多重人格について
僕が僕であるために勝ち続けなければならないといけないって歌詞ありますが、 それって多重人格者にいえることなんじゃないかなと思ったので稚拙な文だと思いますがちょっとだけ記していきます。
以下持論です
持論とされるもの
多重人格要するに解離性同一性障害は基本幼少期に強いストレスを経験して 防衛機制として心を守るために心を切り離すすべを会得したんだと思います。 原因は様々だと思うんですが、多重人格者の多くは今現在は その根本的な原因が取り除かれていることって多いと思うんですよ。 それゆえ、ほんとうに心理的危機なレベルの強いストレスで使うための 機能を日常生活で起こるレベルのストレスで無意識に使っていること だと思います。そしてその機能を使うことによって得られるメリットよりも デメリットが何倍もある状態になっちゃっているんですよね。
尾崎豊さんの曲に戻りますが「心すれ違う悲しい生きざまに溜息漏らしていた だけどこの目に映るこの街でずっと生きてゆかなかれば」って歌詞、 冒頭の部分と合わせてみるとわたしには、 日常の悲しいあれこれに負けないで 自分という一人の人間として生きていこうという決意
と重なったのです。
上述の感情自体は最近自分が感じていた感情なのでそれで刺さって記事にしてみたということです。
最後に僕が僕であるためにはいい曲なので久しぶりに聞いてみてはいかがでしょうか
以上こじつけかもしれない謎文章をお送りしました。
最後に宣伝ですがパソコンのエディタはvimを応援よろしくお願いします。